あの世とこの世を分かつ町「轆轤町」


【lcal news/京都・東山/まちの歴史/
轆轤町】

現在の「轆轤町」(ろくろちょう)は、平安時代には東の墓所だった鳥辺野に至る道筋で、死者を送る鳥辺の送りをした場所でした。死後の世界へ繋がると信じられていた地には、昔から多くの亡骸が集められて、人骨となって眠っていました。そのことからこの地は「髑髏町」(どくろちょう)と呼ばれていたそうです。

江戸時代になって役人が、不吉な町名を嫌い、町名を陶工が使う轆轤(ろくろ)にちなんで「轆轤町」に改名。つまり「ど」を「ろ」にして町のイメージを変えたというのが町名の由来なんだそうです

ちなみに「轆轤町」には六道の辻があり、六道珍皇寺の門前には六道の辻の文字が刻まれた石碑が建っています。六道は、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道で仏教において迷いある6つの輪廻する世界のことです。そして六道の辻は、あの世とこの世の分かれ目だと伝わっています。

【関連情報】
(場所)京都市東山区轆轤町

2018年10月14日RT(1,483)
編集部 春風

編集部 春風

京都の暮らしが少しだけ楽しくなるニュースをすろ~な感じで配信しています。記事へのご意見・ご感想は、メール(info@slocalnews-kyoto.jp)で送ってください。心からお待ちしています。

人気のある記事ベスト15

まだデータがありません。