かつて巨大な梵鐘を造った町がある


【「君臣豊楽」「国家安康」、家康を怒らせた方広寺の梵鐘/まちの歴史/京都・東山】

七条通と大和大路通の交差点を北に上がって行くと東側に方広寺があります。1586(天正14)年、豊臣秀吉は京の都に大仏を建立することを決め造営を開始します。東山山麓に10年の年月をかけて造園された大仏殿は、桁行約88m・梁行約54m・高さ約49m、安置された大仏の高さ約19mという巨大なものでした。さらにその境内は、南北約260m・東西約210m、現在の方広寺・豊国神社・京都国立博物館の3カ所を含む広大なものでした。

秀吉が没した後、その遺志を継いだ秀頼は、高さ4.2m・厚さ30cm・直径2.8m・重さ83tという大きな梵鐘を鋳造させました。鐘銘の「君臣豊楽」「国家安康」の文字が、徳川家康の怒りを買い、豊臣家滅亡のきっかけとなった鐘です

方広寺の北東、東大路通の馬町交差点を西に入ると、そこは鐘鋳町です。大きな梵鐘は、この地で造られたと伝わっています。

【場所】
京都市東山区鐘鋳調

2019年6月21日RT(241)
編集部 春風

編集部 春風

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