田園の幸福を運ぶスミレ
「春のやさしさに出会った」。川端康成の「古都」の一節にある。古木の幹に咲いていたスミレを見つけた。ともすれば見落としそうなちっぽけなスミレへの川端の思いだろうか?◆万葉集にも「春の野に すみれみに来しわれぞ野を なつかしみ一夜ねにける」とある。スミレという名は、花に袋があるところが、「墨入れ」、つまり大工さんの使う墨つぼに似ているからだと聞いたことがある。
今年は10数年ぶりの大雪に見舞われた京都・京北。杉林の木陰や納屋の屋根には雪がしばらく残っていた。やっと咲いたスミレをいっぱい両手に摘んできて、孫とスミレの首飾りを作った。その袋をひっかけ、引っ張り合い、どちらが勝つか勝負した野遊びも思い出す。母親が我々兄弟に教えてくれた◆「スモトリ(相撲取り)バナ」という異名があるのもそうしたことからか。いずれにしても「きれいだなぁ」と人が愛でるスミレがあれば、子孫を残すだけのスミレもある◆子孫を残すスミレの種子は、夏ごろに長方形の実を結ぶために「閉鎖花」とも言われる。目を楽しませる花は人に摘まれてしまう。それから身を護るために目立たぬように「閉鎖花」になるという。
常照皇寺や福徳寺の石段、夏には蛍が舞う小川の堤防、廃校になった小学校のグランドや庭には紫、白、黄色などのスミレが沢山咲いている。その脇に寝そべる。「あぁ春だ」。同時に、もう“命の連鎖”が始まっている。その不思議さにも出会う。スミレの花言葉は「田園の幸福」「小さな幸せ」。ウクライナにもスミレが咲くのだろうか。
(西村 敏雄)
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