お父さん、元気でいるよ

 「翔子はこんなに幸せに生きています」。1985年にダウン症児として生れた金澤翔子さんは5歳で書道を始め、書道家であるお母さんの泰子さんに師事、2005年に初めて個展を開いたのです◆お母さんは、ダイナミックに、自由奔放に筆を走らす翔子さんの「文字」に文章を添えます。「天空」。「翔子はいつもお空ばかりを見ている。亡くなったお父様の魂が、いつか姿になって空に現れるのではないかという想いが捨てきれていないでいるから」◆「いつか空から『翔子、立派になったね』と、お父様の声で言ってもらいたいから」。翔子さんの思いをお母さんはしっかりと受け止めてくれているのですね。

 私事になりますが、北海道・旭川にいる姪もダウン症で生まれました。三人姉妹の一番下。当時、兄夫婦は、6歳になった我が子を、「普通に育て、友達もいる近所の小学校に行かせたい」と小学校の校長先生に頼みに行きました。でも「うちでは受け入れ態勢が出来ていませんので今は無理です」と◆その後、兄は46歳の時に脳溢血で倒れ、意識のない寝たきりになりました。ベッドの父親を見て、姪は「お父さんを鞄に入れて家に連れて帰りたい」と言ったのを覚えています。父親は6年後に亡くなりました。今、姪は、コロナで2年間自宅に戻れず、母親や姉妹との面会はガラス越し。帰り際には「涙をいっぱいためているんだ」。姉から連絡があるたびに、胸が痛みます◆母親の泰子さんは綴ります。「父親を慕うあまり、翔子の魔法でそんな奇跡を起こしてしまうのではないかと思えるほど、想いは強い」「私も、娘の将来を案じつつ悲しみの裡に亡くなってしまった父親の魂の姿をどうしても探しだし『翔子はこんなに幸せに生きています』と伝えたい」◆今、授産所で暮らしている姪も、書に打ち込む翔子さんも、そして天国にいる父親たちも同じ思いでいるのだろうと思うのです。

(西村敏雄)

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2022年5月10日RT(524)
編集部 春風

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