常照皇寺の黒椿を愛でる
「もやい京北便り1回目」
4月中旬、京都市右京区京北井戸町丸山に、桜の名所でもある常照皇寺を訪ねました。桜は満開を過ぎていましたが、地元の方でもあまり知られていない“黒椿”があると聞き境内を散策◆受付をしていた方に聞いても「知りませんね」と。ただ、光厳天皇に惹かれてお寺近くに46年前に引っ越してこられた浅井伸一さん(大阪産業大名誉教授)が、水上勉さんの著書「花守の記」から黒椿の話しをしてくれました。(私も水上さんに何度か、京都のある小料理屋で一献傾けたことがありますが、「黒椿」についてはついぞ聞いたことがありませんでした)
常照皇寺は、北朝の光厳法皇により貞治元年(1362年)に開かれた皇室ゆかりの寺です。地元では親しみを込めて「光厳(こうごん)さん」と呼んでいます◆その光厳さんが愛でたと言われる黒椿とは?水上さんは、ある年の冬に京都市の北、嵐山から山国村へ入った谷里の(光厳天皇が眠る陵墓)山国陵を訪ねました。「案内してくれた和尚がここに眠っておられます」。そこで目にしたのは、「この陵には石塔もなく~杉苔と細かい青苔が生えている空なる土で、そこには2本の椿が植わっているだけなのだった」「椿は、形のよい枝を四方に伸ばして~大木の陰の中でしずかに独り樹幹をくねらせ~その枝に、10数個の赤い花をみせてしずまっている」◆「(光厳さんは)この地に幽棲されて椿を愛好されたと思われます」。和尚はこう言って合掌した。その時、「何という椿でしょうか?」。和尚は「黒椿系の・・」。「花を見みつめていると、やや紫色をおびているくらいに赤が濃い」◆帝が遷化された後、「どこからか一粒の椿の実が~」「山を愛し、木をいつくしんだ帝のなきがらを、椿の古根はしずかに抱きとっている気がした」(花守の記)
光厳さんは、40歳を過ぎる頃に、禅の道に入り、南北朝の闘いで亡くなった武士らの慰霊の旅に出かける途上、この地の無住寺を改修し和尚となりました◆権力や争いから逃れ、ひっそりと咲く山桜を、渓流に釣り糸を、時には独り茶を、暗闇のひと照の燈が孤高の姿をうつしだす。「さむからし民のわらやを思ふにはふすまのうちの我もはづかし」(御集46)。自分の庵、姿も清貧のきわみ。が、更に貧しい民を思う「光厳(こうごん)さん」の心に胸が熱くなります。「死後はそっと山の麓に埋めて欲しい」「一切の法事は不要」。村民の労苦を思うが故にであったのです。今なら黒椿を愛でることができるかも・・
(浅井伸一さんがお話しされた「あうる京北歴史ウォーク 光厳さんの道を歩く①」の講演・資料と常照皇寺パンフレットを参考にしました)
(西村 敏雄 写真も)
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