おもてなしのこころは『奉仕の心』
「水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶をたてて、仏にそなへ人にもほどこし、吾ものむ」。茶人で僧侶でもあった松花堂昭乗が隠居所として建てた草庵[松花堂](写真=松花堂庭園提供・八幡市)の学芸員・川畑薫さんは、千利休の言葉を門人が編したと伝わる「南方録」を示してくれました。「神や仏を純粋な気持ちで敬い、奉仕のこころが生れ、そこからあふれたこころが、人にももたらされる。それが客人をもてなすこころの源なのかもしれません」と。
このコラムを書いていたら宮崎から「日本講演新聞」(7月5日付 )が届きました。編集長の水谷もりひとさんが、「社説 オピニオンエッセイ」で「おもてなし」について、志賀内泰弘さんの著書「京都祇園 もも吉庵のあまから帖」(PHP文芸文庫)から第2話を取り上げておりましたので、引用させて頂きますね◆~ある日イギリスから大切な取引先となる大切なお客様がやってくることに。京都の老舗和菓子「風神堂」に入社してまもない朱音(あかね)さんがその接待に当たることに。先輩からは「どんくさい、不器用な」と散々の言葉が。自分も家族も「奇跡だ」と◆その大切なお客様が京都にやってきました。京極社長から、告げられた待ち合わせ場所を「京都祇園観光ホテル」と連絡。が、時間になってもお客様の姿がない。朱音さんはそれと似た別な名前のホテルを知らせていたのです。京極社長と朱音さんは誠心誠意の接待を。でも朱音さんの頭からは「ミス」が離れません◆そして台風が近づいた日、そのお客様を朱音さん一人が見送ったのです。朱音さんは辞表を胸に・・数日後、あのイギリスからのお客様から京極社長の元に一通の手紙が◆朱音さんが、雨の中ずぶ濡れになりながら見送ってくれたこと~最後まで直角に腰を曲げてお辞儀して見えなくなるまで見送ってくれたこと~そして最後に「我々は今回の旅で知りたかったことは日本人のおもてなしの心、それを最終日に朱音さんを通して知ることができました」としたためてありました◆京極社長はここまで読んで涙声に、そして嗚咽に・・水谷さんは「ドラマは事実ではないが、どこか真実の香りがする」とエッセイで締めています◆そういえばチャールズ・ラムが言っています。「ひそかに善を行い、偶然現れるのが何より愉快だ」と。コロナ禍の恐怖が拡大する中、オリンピック開催を強行する日本。数年前には、日本の「おもてなし」が世界の共通語になるほどだったのに。利休の「奉仕のこころが客をもてなすこころ」と「あまから帖」のお客様が知りたかった「一期一会のおもてなし」。すっかり忘れたかのようにオリンピックだけが一人歩きしている。
(西村 敏雄)
※なお松花堂は現在災害復旧工事のためご覧頂けせん
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