今年も今夜かぎりの雨となり
十二月卅一日 曇つて寒い、暮れてからは雨になつた、今年もおしまひだ。
嚢中に四銭しかない、三銭で入浴、一銭でヒトモジ一把、文字通りの無一物だ、いかに私でも――師走がない正月がない私でも困るので、夕方、寥平さんを訪ね、事情を明かして少し借りる、いや大いに掠める、寥平さんのすぐれた魂にうたれる。……
見切の白足袋一足十銭、水仙一本弐銭、そして酒一升一円也、――これで私の正月支度は出来た、さあ正月よ、やつてこい!
人間は妙なもので、酒を一杯飲ませて下さいとはいひにくいが、煙草一服貸して下さいとはいひやすい、餅を頂戴しませうとはいひやすけマヽれど、飯をよばれませうとはいひにくい、思ふに、自分の身に即きすぎた物、いひかへれば必要の度の強い物、誰もが持たなくてはならない物は強請しにくいらしい。
風呂敷といふものは何と便利なものだらう、大小自由だ、大きいものも小さいものも一枚で包める、とてもトランクやケースやバツグが及ばない、たゞモダーンではない。
食べたい時に食べ、寝たい時に寝る、私しやほんとに我がまゝ気まゝ。
偶然のない生活、当然のみの生活、必然の生活、「あるべき」が「あらずにはゐられない」となつた生活。
忙しい中の静けさ、貧しい中の安らかさ、といつたやうなものを、今日はしみ/″\感じたことである。
寥平さんのおかげで、炊事具少々、端書六十枚、其他こま/″\したものを買ふ、お歳暮を持つて千体仏へ行く、和尚さんもすぐれた魂で私を和げて下さつた。
あんまり気が沈むから二三杯ひつかける、そして人が懐かしうなつて、街をぶらつき、最後にSのところで夜明け近くまで話した(今夜は商店はたいがい徹夜営業である)、酔うて饒舌つて、年忘れしたが、自分自身をも忘れてしまつた。……
葉ぼたん抜かれる今年も暮れる
今年も今夜かぎりの雨となり
それでは昭和五年よ、一九三〇年よ、たいへんお世話になつた、各地の知友福寿長久、十方の施主災障消除、諸縁吉祥ならんことを祈ります。
種田山頭火「行乞記 三八九日記 十二月卅一日」