看護師さん「喜び過ぎず、悲しみ過ぎず」

 7年前に京都市内のK病院に入院していた時に、70歳代後半のご婦人と談話室で知り合った。ご自分の若いころのことを語ってくれた◆その方が高校受験を前に、警察から自宅へ電話が入った。「すぐに〇〇病院に行ってください」。胸がどきどきして頭の中は真っ白だったという。ご両親がベッドに横たわっていた。到着寸前まで必死に医師や看護師の蘇生も空しく息絶えていた。高速道路を走っている途中の事故◆一人っ子だった。親戚の方が葬儀を取り仕切ってくれた。僅か1日で人生が変わってしまった。受験勉強も手につかず、試験当日配布された答案用紙が、「両親の顔にかけられた布に見えた」◆叔母さんのところでの生活が始まった。「毎日、泣いてばかりだった」。でも叔母さんは、自分より年下の二人の息子らに、「〇〇ちゃんはお前たちのお姉ちゃんになってくれたんやで」と明るい声で話しかけてくれた◆小2、4の子供らも「姉ちゃん、遊んでぇや」「勉強教えて」「このおやつ一緒に食べよう」。一緒にお風呂にも入った。ごく普通の会話が始まった。叔母さん夫婦も、「洗濯物干してね」「お買い物お願い」とごく普通の家族のように◆その後、大学受験にも合格、卒業して京都市内で看護師になった。“新しい家族”がお祝いしてくれた。病院には毎日、病気や事故で沢山の人が運ばれてくる。ある夜中の巡回で、長く入院しているお年寄りの方が彼女に小声で語りかけた。「夫も亡くなり、子供もいないし、あんたが子供みたいでうれしいよ」と言って、ベッド脇の大きな旅行ケースを指さした。「これが私の財産なんよ」

 親しい医師が彼女に、詩人・中原中也の1冊の本を貸してくれた。「春日狂想」。病弱な中也は溺愛していた息子を2歳で亡くしていた。その一節にある。「喜び過ぎず悲しみ過ぎず、テムポ正しく、握手をしませう」。耐えきれない苦しみの中でも中也はすこしおどけてみせた◆ひょっとしたら、「握手を~」は医師からのプロポーズだったのかも知れません。聞きそびれました。「両親を必死で救命してくれた看護師になって良かった。今度は患者さんと握手を~」。希望の春が見えてきたそうです。

(西村敏雄)

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2022年3月4日RT(433)
編集部 春風

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