うたつてもおどつてもさくらひらかない
1932年(昭和7年)四月、種田山頭火は旅の途中。
今回は、“桜”をテーマに、「ときどき山頭火」
四月七日
曇、憂欝、倦怠、それでも途中行乞しつゝ歩いた、三里あまり来たら、案外早く降りだした、大降りである、痔もいたむので、見つかつた此宿へ飛び込む、楠久、天草屋
今日は県界を越えた、長崎から佐賀へ。
どこも花ざかりである、杏、梨、桜もちらほら咲いてゐる、草花は道べりに咲きつゞいてゐる。
食べるだけの米と泊るだけの銭しかない、酒も飲めない、ハガキも買へない、雨の音を聴いてゐる外ない。
何やら咲いてゐる春のかたすみに
四月八日
晴、雨後の春景色はことさらに美しい、今日は花祭である、七年前の味取生活をしぜんに想ひだしてなつかしがつたことである。
山から自転車でさくら売つてきた
いつ咲いたさくらまで登つてゐる
四月九日
申分のない晴、町内行乞、滞在、叶屋。
花が咲いて留守が多い、牛が牛市へ曳かれてゆく、老人が若者に手をひかれて出歩く、子供は無論飛びまはつてゐる。
花、花、花だ、満目の花だ、歩々みな花だ、『見るところ花にあらざるはなし』『触目皆花』である、南国の春では、千紫万紅といふ漢語が、形容詞ではなくて実感だ。
乞食となつて花ざかり
四月十日
曇后晴、行程八里、唐津市、梅屋
やつぱり南国の風景は美しすぎる、築山のやうな山、泉水のやうな海、――まるで箱庭である。
山ざくらはもう葉ざくらとなつてゐた。
山村のお百姓さんはほんたうによく働らいてゐる、もつたいないと思つた、すまないと思つた。
朝ざくらまぶしく石をきざむや
うたつてもおどつてもさくらひらかない
四月十五日
夜来の雨が晴れを残していつた、行程二里、福岡へ予定の通り入つた、出来町、高瀬屋
この町――出来町――はヤキとヤキを得意とする店ばかりだ(久留米の六軒屋と共に九州のボクチン代表街だ)。
朝早く起きて松原を散歩した、かういふ旅にかういふ楽がある。
西公園を見物した、花ざかりで人でいつぱいだ、花と酒と、そして、――不景気はどこに、あつた、あつた、それはお茶屋の姐さんの顔に、彼女は欠伸してゐる。
遍路さみしくさくらさいて
さくらさくらさくさくらちるさくら
種田山頭火「行乞記(二)」から抜粋
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