魔を除け厄を除けてくれる鍾馗さん
【slow news/京都/想い、思い。/守り神】
古い民家が立ち並ぶ町を歩いていると木造住宅の屋根の上に小さな人が仁王立ちしています。それも1軒だけではなく、ほとんどの家の屋根の上に。観察してみると、頭に冠をかぶり、その下の目は大きく見開いていて、頬からあごにかけて濃いひげをはやしています。体には昔の武者のような衣をまとい足には長靴を履いています。そして右手には抜いた剣が。いかつい顔で睨みをきかせるこの人物の正体は、屋根の上で京都の人の暮らしを見守っている「鍾馗さん」です。
さて、この鍾馗さん。調べてみるとその起源には諸説があるので、ほぼ共通している部分をかいつまんで紹介します。
中国の唐の時代、病床に臥せっていた玄宗皇帝の夢の中に鬼が現れて悪さをしようとします。するとどこからか自らを鍾馗と名乗る1人の男が現れ、たちまちのうちに鬼を退治しました。玄宗皇帝が目を覚ますと、驚くことに病がすっかり治っていました。この伝説が広まり、邪気を祓う神様として崇められるようになり、年末に鍾馗さんを描いた絵を飾るようになったそうです。
なぜ中国の神様がはるばる海を渡って京都の人々に崇められるようになったのか?それには1つの話がありました。
昔、京都の三条に新しく薬屋が店を構えて大きくて立派な鬼瓦を葺いたそうです。 するとなぜか向かいの家の奥さんが病に倒れてしまいました。病の原因は、薬屋の立派な鬼瓦によって跳ね返った悪いものが向いの家に入ったからです。そこで鬼より強い鍾馗さんを作らせて屋根の上に据え鬼瓦に対抗させました。鬼瓦が跳ね返す邪気を鬼より強い鍾馗さんがさらに跳ね返します。そのおかげで奥さんの病は治ったそうです。このことがあって、京都では鬼瓦の対面に鍾馗さんを据えるようになったというわけです。
この話を解説するとこうなります。奥さんが病に倒れた家の人は、「鬼瓦のせいで病になったからすぐに瓦を取り外してくれ」と薬屋に頼むのではなく、「そっちがそうくるなら、こっちはこうだ」とわざわざ鬼より強い鍾馗さんを職人に作らせて邪気返しをしかけたわけです。つまり向かい合う家と家が暗黙の中で邪気払いバトルを始めた!これがこの話の事実だと思うのです。この事実が京都の人の中で暗黙の了解となって、鬼瓦vs鍾馗さんの戦いが始まり、やがて誰もが屋根の上に鍾馗さんを置くようになると鍾馗さんvs鍾馗さんという不思議な戦いに発展していったのです。
さて、ここからが京都の人の奥深いところです。上の写真に写っているで2体の鍾馗さんをよく見てください。小さいほうの鍾馗さんの顔が正面ではなく斜め上を向いていますよね。その理由は、こうです。「さすがにお向かい同士であからさまに邪気払いバトルをするのは気が引けるわ。でも邪気が入ってくるのはいやだから、鍾馗さんのお顔を斜め上に向かせて、お向かいの家は見てませんよってことにしましょう」という気づかいだそうです。
さらに気づかいの行き届いた人は屋根の上に「お多福さん」を据えて、「お向かい同士がいがみ合ってはいけません。気持ちよく暮らせるように、うちでは鍾馗さんに対してお多福さんの微笑をお返しいたします」となるそうです。ここまでくるとただただ京都の人の奥深さに頭が下がるのみです。