愛された人形と一つの石が残されて


【local news/京都・西陣/まちの歴史/百々町】

堀川寺之内の北東角の小さなエリアが「百々町」です。読み方は「どどちょう」です。「百々町」には、中世の京都に栄えていた尼五山第1位の「景愛寺」の法灯を今に受け継ぐ「宝鏡寺」があります。歴代数多くの皇女が入寺したことから「百々御所」とも呼ばれ、孝明天皇遺愛の人形をはじめ、数多くの由緒ある人形があることから「人形の寺」としても知られています。

寺内にある人形塚の台座には、武者小路実篤の「人形よ 誰がつくりしか
誰に愛されしか 知らねども 愛された事実こそ
汝が成仏の誠なれ」という歌が刻まれています。

「宝鏡寺」の塀が終わり、寺之内通と小川通が交わる場所に表面を丸く刳り貫かれた四角い石が置かれています。「百々橋」の礎石の一つです。小川通寺之内の東西の通りは、古くから「百々の辻」と呼ばれ、この辻を南北に流れる小川(こかわ)に長さ約7.5m・幅約4mの「百々橋」が架かっていました。1467年(応仁元年)の5月には、山名宗全の西軍と細川勝元の東軍が橋を挟んで対峙し、数度の合戦(応仁の乱)が行われました。小さな町には、愛された人形と一つの石が残されています。

2019年1月25日RT(146)
編集部 春風

編集部 春風

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