花遊小路は大正生まれでノスタルジック
【大正、昭和、平成、そして令和、新たな元号になってもこの小路はそのままで/slow news/想い、思い。/京都・河原町】
河原町通から四条通の北側歩道を西へと歩いていくと、「花遊小路」と書かれた看板が頭上に現れます。薄暗く細い小路は北へと続き、途中で新京極通へと繋がる路と交差します。
「花遊小路」は、商店街です。ホームページを見ると“日本一短い商店街”と書いてありますが、真偽のほどは定かではありません。名前の由来も載っていたので紹介します。
この雅(みやび)な名前は、かつてこの地にあった「花遊軒」という精進料理屋さんの名に由来します。大正時代に入って、花遊軒があった場所にその名に因んだ小路ができ、商店街となっていきます。
ほぼ同じ大きさの間口をもった敷地に分譲され、流行りの和装を扱う店が立ち並び、花遊の名にふさわしく、旦那衆や、花街の舞妓さんや芸妓さんが、得意先になりました。
「花遊小路」には、今でも個性的なお店が残っています。明治37年創業で、あぶらとり紙で有名になった「よーじや」」は、大正4年にやって来て、依頼ずっとこの地にある本店を大事にしながら商売を続けています。30年も前から京都のカフェを牽引し続けている「さらさ」もここにあるお店が本店です。その他にも、創業100余年になる鰻料理の「花遊小路江戸川」、レトロな店構えがかつての商店街の風情を感じさせてくれる「穴沢楽器店」と時計の「三文字屋」。新京極通と寺町通が時代とともに激変していく中で、「花遊小路」だけは静かでゆっくりとした時間が流れています。
京都の第三高等学校に通い、後に無頼派の作家になった織田作之助の『青春の逆説』に花遊小路が登場します。
丁度京極の端まで来ていた。赤井は先に立って、花遊小路の方へ折れて行き、
「この小路の玩具箱みたいな感じが好きなんだ。僕はいつも京極へ来ると、さくら井屋の中と花遊小路を通り抜けることにしているんだ」
と言いながら、四条通へ抜けると、薄暗い小路へはいって行った。
“玩具箱みたいな小路”
いつまでもその感じが残ればいいなと勝手に願いながら、この小路を歩いています。
【詳細情報】
花遊小路商店街
http://kyoto-kayukoji-st.org/index.html
京都市中京区 新京極四条上ル中之町