四条堀川の近くでマリア像がたたずむ
【豊臣秀吉と日本二十六聖人殉教者の歴史があった。/local news/京都ニュース/京都・四条堀川】
堀川通から四条通の南側歩道を西へと歩き、1筋目の岩上通を南へと下がると、西側にひっそりと史跡があります。近寄って観察すると塀の瓦には、十字架がありました。
さらに観察を続けると、門扉らしきものには十字架のような形をした窓があって、そこから奥を覗くとマリア像らしきものが静かに立っていました。
史跡の傍らにある説明を読んでみると、「フランシスカンチャペル」があった場所のようです。
この地にはかつて法華宗総本山の妙満寺があったようです。お寺は、1583年に豊臣秀吉の命によって寺町二条へ移りました。その後、お寺の跡地は、1593年に秀吉の招きで来日したフランシスコ会ペトロ・バプチスタ神父に与えられて,教会堂と修道院、2つの施療院を建てて拠点にし、布教活動を行っていたようです。ところが3年後の1596年、秀吉は突如キリシタンの奨励から追放に政策を転換し、京都・大坂の日本人信者らとともに神父を捕えて長崎に送り処刑しました。日本でキリスト教の信仰を理由に処刑が行われたのはこれが初めてだったそうです。
フランシスカンチャペルの史跡から岩上通をさらに南に下がると、「妙満寺跡 二十六聖人発祥之地」と刻まれた石標があります。長崎で処刑された26名は、1862年6月8日にカトリック教会によって聖人に列せられ、「日本二十六聖人殉教者」として2月5日に祝われるようになったそうです。
【関連情報】
妙満寺跡 二十六聖人発祥之地
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/si007.html
京都市下京区岩上通綾小路東北角