畏れ多いので、あけません。
【local news/京都・四条烏丸/まちの歴史/不明門通】
烏丸通から東に入ってすぐ、高辻通と松原通の間に因幡堂(平等寺)があります。
因幡堂縁起によると、997年(長徳3)に従四位上中納言橘行平が、因幡国(現鳥取県)での任を終え帰国する途中、夢告により海中から薬師如来を引き上げました。そして屋敷を改造し堂を作り「因幡堂」と名付け祀りました。その後、1171年(承安元)には、第80代高倉天皇により「平等寺」と命名されました。
この因幡堂から塩小路通へと続く通りが「不明門通(あけずどおり)」です。通り名の由来は、源平争乱の時代に高倉天皇が因幡堂のすぐ南にあった「東五条院」に住まわれていたので、遠慮して南門を開けなかったためと伝わっています。
毎月8日には境内で手づくり市が開かれ,食品や雑貨などを目当てに多くの人が訪れています。
【関連情報】
因幡堂(平等寺)
http://www.inabado.jp/index.html
2018年11月19日RT(807)