八幡まるごと館たより【1回目】
コロナ禍で涙した・・
2020年4月にはコロナ禍で緊急事態宣言が出され、今まで出来ていたことができなくなって、まるで迷路の中にいるような気分でその日その日を過ごしていました。そんな4月のある日私は公園の藤の花を見て涙が出てきました。ハッと我に返り、何をしていたんだろうと。自分のことだけで精一杯の私は多くの方が自分のことだけではなく働いている姿を目にし、自分の弱さと共に、如何に自分が周りの方々に助けられていたか、まるごと館に生かされていたかを実感しました。こんな時だからこそ大切なことがわかる。以前の様に、集うことが出来なくて深くショックを覚え、立ち直ることが中々出来なかったのです。
なぜ、いま「方丈記」を?
また、7月には、追い打ちを掛けるように、九州地方では短時間の集中豪雨で川が氾濫し、山が崩れ、多くの方々が犠牲に。ここ数年、類似した天候で被害が起こっています。被災された方々は人生で初めての経験では・・。悲しみ、疲労の中で片づけをされている方々の映像が目に焼き付いています。
『ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし』
方丈記の冒頭部分です。平安時代の末期から鎌倉時代前期へと転換した激動期に生きた鴨長明(1155年~1216年)は、大火、竜巻、戦乱、飢饉、大地震、疫病を目の当たりにし著しました。全て自分の足で歩き、見聞きしてきたことです。800年と長く事あるごとに読み継がれてきたこの方丈記から、少しでも揺るがないものをつかみたいと思うようになりました。「まるごと館たより」(下記参照)には方丈記の持つ力を今に活かすことが可能かと、その右往左往してきた経過も含めて「これからのことを…」と題して書き続けてきました。今をどう捉え、如何に弱い自分でも立っていけるのか読み進めていけたらと思っています。
鴨長明とは
父親は下鴨神社の正禰宜惣官で、長明はその次男として生まれ、色々な出来事を経験し、50歳春に出家し大原に、54歳の時伏見区日野の山中に4畳半の庵(方丈庵)を作り、そこで「方丈記」を執筆しました。長明さんから今を生きるヒントを頂きたくて。
……【八幡まるごと館】……
地域の人々の出会いやつながりの場として2009年6月にオープン。夫(2012年12月亡くなる)が民間の力で公的部門の活動分野を担おうと長年構想していたものです。野菜棚があり、それが館の運営資金に。朝は野菜生産者や寄ってこられる方々で賑わって、それに加えて講座(パソコン、絵手紙、歴史、オカリナ、理科の実験、パッチワーク…)を始め、味噌・ぬかとこ・沢庵講習会、コンサート、年2回の市、餅つき等々を共に歩んで下さる方々と取り組んできました。
<続く>
(八幡まるごと館館長 上谷順子)
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