夢売りは、よい初夢を!
「~夢売りは よい初夢を 売りにくる~夢の買えない うら町の さびしい子等の ところへも だまって夢を おいてゆく」(金子みすゞの「夢売り」より)◆私ら家族は約1年半前に、北山杉に囲まれた京都・京北の小さな村に移り住みました。冬は零下10度を超す日々も。その寒さを凌ぐと初春。杉林から吹きおろす風が色とりどりのツツジを包み込み、山藤の淡い香りを運んできます。そして川沿いやお寺には、垂れ桜や八重桜など様々な種類の桜が咲き乱れ、夏には蛍が暗闇の中を、弧を描いて明滅しながら乱舞します◆ですが、若者は都会へ。廃校になった小学校が至るところにあります。子どもの日には、村人があげた鯉のぼりが、誰もいないグランドで気持ちよさそうに風に吹かれています。じーっと見つめていると、ふと「コロナ禍」の最中に、今にも子供らが「わぁーい」と大声をあげて駆け出してくるような錯覚に陥ります。
私も古希を過ぎましたが、“あの時”のことをしっかり覚えています。北国・旭川生まれです。小学校の頃、父親に連れられてよく山に登り、小桑の実や山葡萄をリュックサックからこぼれんばかりにたくさん採りました。帰りには石狩川の脇の池で夕食のおかずにするドジョウもうじゃうじゃと◆父親は山葡萄で造る「葡萄酒」を楽しみに。躾が厳しく、子供らはびくびくしていましたが、発酵し出来立ての葡萄酒を、こっそりと私ら兄弟に飲ませてくれたこともあるんです。皆で顔を赤らめて笑いました◆軍人だった父親は昭和23年までシベリアに抑留され、帰国するころにはお金の価値や建物など全ての風景変わっていました。職業軍人とサラーリーマン。二つの狭間で「お父さんは苦しんでいたんだよ」。母から聞きました。父は心を病んでいたんです。が、母や5人の子供らに囲まれて、戦争が生んだ残酷な抑留の記憶が少しづつ消えていったのだと思います。
金子みすゞは、幼い日に、2度の家族との別れ、結婚も苦みのどん底でした。ですが、その人生とは裏腹に、自然を相手に小さき命、そして命なきものへの慈しみのまなざしが、その詩に宿っているように思います◆貧しくとも平和があります。平和だからこそ人への思いやりさえも。隣人どうし仲良く穏やかで平和できている時代を単なる昔話の過去形にしたくはありません。我が子や孫らに“夢売り”からのよい夢や希望に満ちた未来を、“心ない為政者”らには奪われたくはない、そう思うのです。
(西村敏雄 写真も)
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