破れてもいい、流れてもいい。何とかなるんです

 「皆さんは初めてキスをしたときのこと覚えていますか?」「私は二十歳の時、身体がぐちゃと壊れたようになってね、そして相手の男の頬をひっぱたいたの(笑い)」。シンガーソングライターの加藤登紀子さんが、お兄さんの幹雄さんが経営する京都・祇園にあるロシアン料理「キエフ」(四条大橋近く)でのライブで語ったのを思い出しました。もう 20 数年前だと思います◆いつもニコニコ顔の加藤さんから、どんな話が出てくるか楽しみでした。目の前の客に「あなたの初キッスは?」とマイクを。真っ赤な顔した客が逃げ出すのです。 笑いの渦でまずは場を和ませるんですね◆その飾らない庶民的な加藤さんは、「おときさん」の愛称で。歌手デビューは大学4 年生の時のアマチュアシャンソンコンクールでの優勝でした。「東大出のシャンソン歌手」のキャッチフレーズでマスコミは囃しました。68 年に学生運動家のリーダー・藤本敏夫さん(故人)と知り合い、恋から獄中結婚へと。「ひとり寝の子守唄」は塀の中にいる藤本さんを思い作詞・作曲したものでした。「ひとりで寝る時にはよぉ~ひざっ小僧が寒かろう~」。あの寂しい歌詞を聞きながらしんみりしたものです。

 でもプロダクションは売り出しに懸命。華やかな衣装に、濃い化粧。付けまつ毛も1 センチという・・。「綺麗にラッピングして人間でなく商品として売り出そうと懸命でしたね」◆キャバレーから仕事が舞い込 みました。「豪華なステージで歌う小娘のシャンソンなんか誰も聞いてくれない」「それどころか、目の前のヤクザ風の男が『姉ちゃん、童謡でも歌ってくれよ』と言い出す始末」。ここからがおときさんの肝っ玉の発揮どころ。もうどうにでもなれと舞台の上でどっかと胡坐をかいて歌ったのです◆「あ~した~はまべを~ さまよへば~むかしの~ことぞ~しのばるる」。そして「か~ら~す~なぜ鳴くの~」。 次々と童謡を歌ったのです。ふと酔っ払いばかりの客席をみると、「シーンとなっているんです」「それどころかさっきのヤクザ風の男が涙を流して泣いていたんです」 ◆その時の衝撃を、おときさんは今も目に心に焼き付いているそうです。その後の歌手生活にも大きな影響を与えました。「キッス以上の衝撃」「体中で『これは何かが違う』と思ったんです」。プロダクションが売り出そうとして綺麗なリボンをかけたラッピングの包装紙をビリビリ破り始めたのですね。

『全曲集~百万本のバラ』

 そういえば戦後の日本は先進国に追いつき、追い越せと、たくさんのラッピングで国民を包み込んでしまいました。“キャバレー事件”の後は、「自分の内なる声を聴いて、破れてもいい、流れてもいい。何とかなるんです」「名誉やお金、人にどう思われたいか、そんな袋の飾りは捨てて」とおときさんは語ります◆9月26日に「キ エフ」(☎075-525-0860)でおときさんのライブが開かれます。コロナ禍で引きこもりだった生活から抜け出して、「貧しい絵かきが~女優に恋をした~ある日街中のバラを買いました~」。しっとり哀愁あふれる「百万本のバラ」を聴きたい・・

(西村 敏雄)

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2021年6月22日RT(316)
編集部 春風

編集部 春風

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