どの子にも必ずいいところがある

 孫らが通う京都市右京区京北の京都市立京都京北小中学校校長の松本和文先生が、6月号学校だより「轍(わだち)~つなぐ・つながる」で「啐啄同時(そったくどうじ)」について書いています。その中身をご紹介します。校区には常照皇寺(禅宗)があります。「近くを通った時に『啐啄同時』という言葉を思い出しました」「啐(そつ)は、鳥のひなが生まれ出ようとする時、殻の内側から殻をつつくこと」「啄(たく)は、親鳥が卵の外側から殻をつつくこと~」「この啐と啄があって始めて、殻が割れヒナが誕生するのです」◆「私も教師に成りたての頃、心の準備が整っていない子供らに、学びや成長のアドバイスをしてもなかなか『ストン』と心に入っていきません」「逆に機が熟してくると教えたことやその後ろにある考え方や生き方が~砂に吸い込まれる水の如く『ストン』と吸収される~」◆そして松本先生が一番おっしゃりたかったのは最後の部分だと思いました。「子供らの日常のトラブルも一つの『啐』だと~大切なサインであり機会です」「(それに対して教師が)どのような『啄』を行うことができるか~」「学校において学びというのは教える側がただ単に知識を流せば良いというものではなく学ぶ者の状況、心の居場所に合わせた内容の提供と時期(機)が大切~」「~一人一人の個性や成長をしっかりみつめ、『啐啄同時』を心掛けながら教育活動に~」との教師の心構えも説く。松本先生は教師として20歳代の駆け出しのころ、教育の機会さえ難しい当時の在日朝鮮人の子どもらや大人たちの中に入り、ある時に、ハルモニ(おばあちゃん)が「熱を出した孫を病院に連れて行っても名前も書けないし、病状を説明できない」ことも知り、胸を痛めました。そのころの経験が今に生きている気がします。「一隅を照らす」ことも教育の原点だと言っています。

 久しぶりの雨の日。ふと本棚に目をやると「元気なクラスに変えるとっておきの方法」(学陽書房)という背表紙が目に入りました。寝転がって読んでいたら著者の岩堀美雪さんが名付けた「宝物ファイル」に興味をそそられました。29年間の小学校の教師を振り返り、「大勢の子供らからたくさんのことを教えてもらえました」◆「勉強やスポーツが得意な子もいます」「でもそれほど勉強が得意でなくとも優しい心をもっている子もいます」。岩堀先生は、長い教師人生で最も大きな影響を与えてくれたのが冒頭の「どの子にも必ずいいところがある」ということでした。

 岩堀先生がそれを体感しようとある道具を用意しました。「とっておきの方法とその道具」とはクリアファイルです。ファイルには時間がかかっても「自分のいいところを一つでも書く」「友達のいいところを」、そして「兄弟、両親ら家族のいいところを」メモして挟む。その思いの輪を自分から友人そして家族へと広げていくのです◆するとあらあら!今まで「ボクなんて・・」「うちの子はだめで・・」「教師として失格だ・・」との自己否定が自己肯定へと体験者らは脱皮していったそうです。「自分や人への思いやり」「家族仲良く」はもちろん「夢や希望」を語り始めるなどたくさんのご褒美がありました◆詩人の中桐雅夫は「母子草」で書いています。「子供たちが懸命に走っているのを見ると目が潤む。自分の子供でもないのに、ビリの子供の力走には涙が出てくるのだ」と。敗北の言い訳をしない子供は純粋無垢の競技者でもある。運動会で、ビリの子の力走に涙してみるのもいいのでは・・・

(西村 敏雄)

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2021年6月16日RT(530)
編集部 春風

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