かぁちゃん、行ってまいります!
東映の戦後70周年記念作「おかあさんの木」(原作・大川悦生・2015年6月公開)。戦争末期に召集で戦地に向かう我が子が、見送りにきた母親・ミツへ語った最後の言葉です◆ミツは、沢山の子宝に恵まれました。名前も一郎、二郎、三郎~六郎と。貧しい中でも笑顔の子育てが生きがいに◆しかし、戦争が始まり生活が一転しました。一郎に召集令状がきて、皆に祝福されながら喜び勇んで出征したのです。寂しさの中でミツは、桐の苗木を1本植えました。さらに、二郎、三郎、四郎にも召集が。ミツはその度、苗木をまた1本と。ミツは苗木に「生きて帰ってきてや」。子供らに日々話しかけるのがやっと◆ある日、一郎の戦死の知らせが。その後、相次ぐ息子らの戦死を国も世間も、「見事な戦死を遂げた」と誉め称え、ミツは「愛国の母」と、新聞や雑誌が大々的に取り上げました。遂に五郎にも召集令状が。ミツは見送りの駅で、五郎にすがりつき泣き叫びました。憲兵が「非国民」と怒鳴り、「愛国の母」が一転「非国民に」。そして六郎までもが戦地へ。憔悴しきったミツはまた1本の苗木を・・戦地に送り出した息子らの「ただいま、帰りました」との元気な姿を見ることはなかったのです。
ふと当時、お釈迦様の教えの「不殺生(生き物を殺すこと。仏教では最も重い罪の一つとされる)」を説く仏教界が、この戦争にどう対処していたのか疑問を。明治生まれの反戦僧侶の竹中彰元の姿を描いた「戦争は罪悪である」(著者:大東仁・風媒社)を読みました。戦時一色の中では、仏教界も例外ではなかったのです。「不殺生」は、「一殺多生」という言葉に置き換えられていた。「少し殺しても、多くが生きる」と。法衣を着た僧侶が鉄砲を担いで行進する姿も新聞に。僧籍を持つ竹中にはどうしてもそれが我慢ならなかったのです。出征兵士の前で演説しました。「戦争は罪悪であり人類に対する敵であるから止めるべきだ」と。この発言が元で竹中は、僧籍はく奪、弾圧そして収監へと。僧籍や名誉が回復したのはそれから約70年後でした◆そして現代。中東の内戦も、キリストやイスラムの教を捻じ曲げて聖戦に・・。世界中で起きている戦争で、多くの病人や高齢者、婦女子、若者らが命を落としています。「行ってきます」と子供らが学校に。帰ってきたら「お帰りなさい」。家族が迎える声が聞こえる当たり前の日々が平和だとつくづく思うのです。暑い夏の終戦の日がもうじき・・
(西村 敏雄)
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