無常を超える地平へ

 『母の命尽きたるを知らずして、いとけなき子のなほ乳を吸いつつ、ふせるなどもありけり』
 私はまだ生まれて間もない孫をあやしながら、この場面をよく想像します。どんなに苦しかっただろうかと。800年以上も前のことですが、民衆の側からしたら、生きても地獄、死んでも地獄の時代だったのです。

結局6ケ月で古都に帰ってきました

 『世の乱るる瑞相とかきけるもしるく、日を経つつ、世の中浮き立ちて、人の心もをさまらず。民の憂へ、つひに空しからざりければ、同じき年の冬、なほこの京に帰りに給いひにき。~』
 前回の1180年6月遷都の続きです。26歳の長明さんは新都の福原まで出向いて行きよく見てきました。古都は荒れ果て新都もまだ出来上がっていません。
 世の中が世の中がざわざわと乱れていく前兆があらわれ、人の心は落ち着きませんでした。その年の11月24日に還都。しかし、古都の壊した家々は元通りに作られたとは言えません。この福原遷都は何度も打ち続く源氏と平氏の争乱の中で行われたことでした。平清盛の愚挙としかいいようがなかったのです。

長明さんははっきりと

 民の声、生活と随分かけ離れた権力者のふるまいに対して、長明さんは書きました。

鴨長明

 『伝へ聞く、いにしへの賢き御世には、あわれみをもって、国を治め給ふ。~今の世のありさま、昔になぞらへて知りぬべし』
 いにしえの賢帝の御代には民をいたわり、世を救済なさろうとされました。この世のありさまは、昔の世と比べてみると、その違いがはっきりとわかるはずです。どういうことかというと、 
 『殿に茅ふきても、軒をだにととのへず。煙のともしきを見給ふ時は、かぎりある貢物をさへゆるされき。これ、民をめぐみ、世をたすけ給ふによりてなり。』        
と、殿に不揃いの茅があってもそれを切ることもなく、民が食べる米がない時には年貢の免除を、これらは全て慈愛を持って国を治めようとされたのです。 

茅の家

政治というものは

 「一つ一つの仕事が他の人々のいのちを支えている。そのことへの畏怖といえばいいのか。そんな仕事の一つに政治がある。政治は「誰か」のいのちのみならず、国民全員のいのち(ないしは生涯)の根っこを預かる。ふつうなら人はその重さにたじろがざるをえない仕事である。~」(「政治を壊す政治」 鷲田清一 京都新聞9月26日)
 この9年近く、苦しむ人を尻目に、自分の身内のことだけを優遇する政治が続きました。政治を蔑ろにしてきたんです。数に物を言わせて。これまで、あきらめて選挙にも行かない、投票しない人が多くいました。

ここで、長明さんが生きた時代のことを

 源平の大争乱があり、五大災厄(大火、竜巻、遷都、飢饉、大地震)が襲い、だからと言って、何も手当をしない為政者は自分のことだけ。
 『知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。』
 長明さんは「私にはわからない。生まれたり、死んだりする人はどこからやってきて、どこに去っていくのでろう」と方丈記冒頭近くに書いています。京の人口が十万人前後、その内四万二千三百人余りが亡くなった養和の飢饉、飢餓を思い浮かべて下さい。何とも言えない虚無感にとらわれます。そういうことが当たり前に日常茶飯事の時代だった。
 でも、ふと政治がまともに行われていたら、争乱がなかったらと思います。貧しくても愛情をいっぱい得て育っていったであろう子どもたちの姿が目に浮かんできます。

今を

 この方丈記を読み書きしてきて、今頃になって無常という言葉で済ませることで逃げてないかと感じるようになりました。為政者が、です。どうしても手の施しようがないこともあることにはありますが。
 でも、現在は違いますよね。ここらで、政治を本来のものに。長明さんもきっと頷いてくれると思います。

(八幡まるごと館 上谷順子)

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2021年10月24日RT(273)
編集部 春風

編集部 春風

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