母のこと

 私は先を生きた人の姿から誰だってそのようになるかもしれない、一歩二歩先を示してもらっていると思うようになっていました。そう思うことで何度もの同じ話や昔の話に耐えることが出来たのです。それまでは聞くことがしんどくて用事を作ってその場から離れようとしていましたから。これは昨年1月に96歳で亡くなった義母とのことです。でもこの発想は老いたらお荷物という昔から変らない言い分がどしっと居座っています。

よく帰りたいと 
 母は2014年3月末に89年住んでいた小豆島から関西に。住み慣れたふるさとを離れるのは本当に辛かっただろうと思います。先日小豆島に行って8年間空き家状態の中に入った途端、そのことをまざまざと実感させられました。かつてのシーンがよみがえってきて。ひとりになった母を私の近くにと、こちらに連れて来たんですから。
 そして私の家の近くの施設で最期まで、面会がままならないコロナ禍の最中に。

母の好きだった小豆島のオリーブの木

長明さんだって                                  
 『もし、うららかなれば、峰によじのぼりて、はるかにふるさとの空をのぞみ、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を見る。~』
 鴨長明は50歳で出家、54歳で日野の方丈庵に。それまでと違いこの草庵をとても気に入っていて、ここで方丈記を。
 天気の好い日に山に登り自分が生まれ育った懐かしい故郷の空を眺めたと言います。

方丈庵跡

これからは
 近い人の老いや死を見てはいても、実際は自分が初めて経験することばかりです。高齢者65歳以上が全人口の28%以上の日本、もう3年もすれば75歳以上が5人に1人という超高齢化社会が。未知の分野にどのように対峙してゆくのか、歳は取りたくないと言って過ごすか、一歩一歩チャレンジする気持ちでこの時を迎えるのか。60歳の長明さんは琵琶湖辺りまで文学歴史の名所等を訪ね歩いたといいます。今で言えば80歳くらいでしょうか
 これからの高齢者は生産性がないからという今の状況を打ち砕いてゆく任務を担って、そのありのままの存在や知恵で生き抜いていける世代ではないでしょうか。2000年に施行された介護保険制度を力にして。これも知恵を集めて動いて下さった方々の存在が大きいです。それまでは家で主に女性が介護するのが普通でした。高齢者の増加と共に介護を必要とする人を社会全体で支え介護離職ゼロを目指して、ずっと住み慣れた地で最期まで生きることが可能な支援体制も考えられたんです。介護職の方々の待遇改善等課題はありますが。

母への想いは
 若い頃、夫は飲むと決まって話すことがありました。父が戦争出兵時マラリアの熱でその後ずっと病院に、母が苦労して自分を育ててくれたと。寂しかったこと苦しかったこと嬉しかったこと等を大きな体に似つかわしくなく泣いて聞かせてくれました。
 9年前、入院中の夫が小豆島から駆け付けた母を見て目に涙を。その3日後に63歳で夫は息を引き取りました。夫の涙は母への想い。今でもくっきりと目に浮かびます。その想いはずっと生き続け、伝わってゆくように思うんです。それから私の母への気持ちが少し変わりました。これを書きながら、今起こっている戦争で爆音が轟く中を少しの荷物を持ち、ふるさとから避難する特に高齢者の方々の気持ちが如何ばかりかと思ってしまいます。

(八幡まるごと館 上谷順子)

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2022年5月14日RT(186)
編集部 春風

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