老いた母からの手紙
手紙。「年老いた私がある日、今までの私と違っていたとしても~」「どうかそのままの私のことを理解して欲しい」「あなたと話すときに同じ話を何度も何度も繰り返してもその結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい」◆手紙(歌詞カード)は縦書きで書かれていますが、原作詞不詳の「手紙 親愛なる子供たちへ」からです◆かつて夏目漱石や森鴎外らの全集には書簡集が付いていました。永井荷風の知人らとのやりとりを記した書簡集には、「作品以上に面白い」と評判になったものもあります。ひと文字、ひと文字に思いを込めながら書く文章、特に手紙には心があるから、読み終えてからふと、故郷の両親や友人らを思い浮かべ目頭も熱くなるものです。したためられた文字が滲んでいたら、胸が張り裂けんばかりになるときも・・
「文は人なり。手紙はこころなり」と言った文豪がいます。冒頭の手紙の先を読んでみよう。「私が服の上に食べ物をこぼしても見守って欲しい」「楽しいひと時に思わず下着を濡らしても~お風呂に入るのをいやがるときには思い出して」「あなたを追い回し何度も着せ替えたり、お風呂に入った懐かしいことを」◆「悲しいことではないんだ。旅立ちの準備をしている私に祝福の祈りを捧げて欲しい」「いずれ歯も弱り、飲み込むことさえ~」「よろめく私にどうかあなたの手を握らせてほしい」「あなたの人生の始まりに私がしっかり付き添ったように、私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい」「あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びとあなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい」「私の子供たちへ~愛する子供たちへ」◆手紙の封筒にある消印は「葡萄牙」(ポルトガル)と書かれているだけ。差出人が誰かを知る必要もありません。誰もがいつかは辿る道ですから。「年老いた私」もひょっとしてもう、子どもに返り、道ばたの虫や草花に目を奪われ、疲れたら遠い空を見つめ、夜になってもそこで佇んでいるのかもしれません◆「私を理解して支えてくれる心だけを持って欲しい~それだけで私は勇気がわいてくるのです」。我子にしたためた手紙を“心のポスト“にそっと入れました。
「樋口了一/手紙~親愛なる子供たちへ~」
(西村 敏雄)
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