ひとさし指から奏でる

 「思いっきりピアノを弾きたい」。当時24歳の坂中明子さんは心の中で叫んだ。3歳からピアノを習い始め、宮崎県の短期大学でピアノを学んでいました。20歳の時に通院していた病院での医療事故が原因で全身麻痺に◆「一番ショックだったのは何かを書こうとしても書けない。ティッシュペーパーを一枚取ろうとしても~ちゃんと手も足もあるというのにだ・・」◆入退院の繰り返し。宮崎から埼玉県所沢市にある国立身体障害者リハビリテーションセンターへ。そこで見た光景がその後の明子さんの人生を変えました。交通事故などで手足が無くなっても動く身体の一部を使い、改造した車を運転している人たちでした。先生らが、「(動く)可能性のあるところ」を一生懸命に探してくれ、大声で「ひとさし指が使える」。私にとっては地獄で聞いた仏様の声でした◆必死でパソコンを。「オ、カ、ア、サ、ン~」。最初は15文字打つのに9時間くらいかかりました。ひと文字に込められた思いが明子さんの“落ち込んだ過去”を払拭し始めたのですね◆明子さんと母の浩子さんとの共著「ひとさし指から奏でるしあわせ」(新水社)を10数年ぶり読みました。「明子さんの元気な声を聞きたい」。この本を出すきっかけを作った「日本講演新聞」代表・松田くるみさんにその旨を伝えたところ、翌日、松田さんから、「明子さんが了解してくれました」と。半ば、無理かなと思っていただけに嬉しかったです。

 「坂中明子さん、初めまして~71歳のお爺ちゃんです~本を読みながら~その後お元気かと~」と初メールを。翌日夕方には返信。「はじめまして。坂中明子です。メール~嬉しかったです」「今はスマホでLINEやメールをしています」「ヘルパーさんが私の言ったことを代わりに打ってくれています~」「コロナで大変だと思いますが気をつけて~またメールを楽しみにしています」と。此方への労りの内容に恐縮してしまいました◆明子さんは、2003年からNPO法人「YAH!DOみやざき」の支援や介助の方々の手助けを受け、宮崎市内で一人暮らしの生活をしています。そのきっかけとなったのは、下半身麻痺でありながら一人での生活しているYさんの言葉でもありました。「自立できないからサポートが必要なのではなく、出来ないことをサポートしてもらうことで何でもできるようになる」。“勝ち気な明子”(母・浩子さん)さんは、「あ、き、こ、も、やっ、て、み、よ、う、か、な」。◆「医療事故で全身麻酔になって見えなかったものが見えるようになった」。今度は笑顔の写真を送ってもらおうと思っています。

(西村 敏雄)

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2021年3月8日RT(2,987)
編集部 春風

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