しあわせというものは
「日本のアンデルセン」と称された
小川未明の『春』から冒頭の言の葉を
すぐそこにいる
初夏がやってくるまえに
―春風―
しあわせというものは、不幸と同じように、
いつだれの身の上へやってくるかわからない。
ちょうど、それは風のように、
足音もたてずに近づくものでした。
また、だれもかつて、
しあわせの姿というものを見たものはなかったでしょう。
こうして、たくさんの人たちが、
てんでに自分の身の上にしあわせのくるのを待っていました。
「しあわせは、いま、どこを歩いているかしらん……。そしてだれのところへ、やってくるかしらん……。」
こう考えると、まったく、不思議なものでした。
そして、このしあわせにも、
大きなしあわせと小さなしあわせとあったことは、むろんです。
けれど、ダイヤモンドは、いくら小さくても美くしく、光るように、
それが、たとえ、小さなしあわせであっても、
その人の一日の生活を、
どんなにいきいきとさせたかしれません。
【小川未明の『春』から冒頭の文章を抜粋し編集】
2021年4月29日RT(103)