しあわせというものは

「日本のアンデルセン」と称された
小川未明の『春』から冒頭の言の葉を

すぐそこにいる
初夏がやってくるまえに

―春風―

 
しあわせというものは、不幸と同じように、
いつだれの身の上へやってくるかわからない。

ちょうど、それは風のように、
足音もたてずに近づくものでした。

また、だれもかつて、
しあわせの姿というものを見たものはなかったでしょう。

こうして、たくさんの人たちが、
てんでに自分の身の上にしあわせのくるのを待っていました。

「しあわせは、いま、どこを歩いているかしらん……。そしてだれのところへ、やってくるかしらん……。」

こう考えると、まったく、不思議なものでした。

そして、このしあわせにも、
大きなしあわせと小さなしあわせとあったことは、むろんです。

けれど、ダイヤモンドは、いくら小さくても美くしく、光るように、
それが、たとえ、小さなしあわせであっても、
その人の一日の生活を、
どんなにいきいきとさせたかしれません。


【小川未明の『春』から冒頭の文章を抜粋し編集】

2021年4月29日RT(96)
編集部 春風

編集部 春風

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