北桑田高校校長・徳廣剛先生に聞く
「動けば何かが変わる」「全員が主役」
7月の初旬、杉林に囲まれ自然の中でゆったりとした佇まいの木造の校舎がある北桑田高校(京都市右京区京北。通称「北高(ほっこう)」)を訪れた。入ってすぐ頭をよぎったのは、かつて取材で訪れたカナダ・バンクーバー郊外にある公立の高校の風景だった。高い杉の木や裏山の自然に囲まれた校庭でランニングや談笑する生徒の顔が輝いていた。手造りのログハウスを右手に、北高のイチョウ並木が続く校門からの道々で胸が騒いだ。
この日は昨年、同校を定年退職後に再び校長に推された徳廣剛先生に会うためだ。京北も少子高齢化の波で、北高の存続が危ぶまれたこともあった。徳廣先生の尽力や地元の方々ら大きなバックアップもあり「存続が決まった」という背景がある。同校は宮沢賢治の親友でもあった小菅健吉が昭和19年に初代校長として赴任した歴史も。今は「文武両道」を掲げ、豊かな自然を背景に少人数の「全国小規模校モデルケース」を目指している。“行動派・熱血教師”とお聞きした徳廣先生にご多忙のところインタビューをお引き受け頂きました。
(西村敏雄)
西村:昨年、3年間の校長を定年退職後、「余人をもって代えがたい」(府教育関係者)と、再び北桑田高校校長に。
―まず、校長に赴任する前の10年間は行政で学校現場と離れていましたので、何よりも「素直で純粋で、驚くほどの成長を見せてくれる」生徒達と一緒にいられること、関われることが一番のモチベーションと幸せです。
北高との縁は、北高の卒業生や元教員・校長である多くの恩師の方々から魅力を聞いていたので、教員生活の最後は北高で迎えられたらと漠然と考えていましたが、まさか校長で赴任し定年後に再任されるとは・・。
西村:今春には北高近くにご自宅を新築されたとか。そこまで教育に駆り立てる原点は何でしょうか?
―高校の恩師前田勉先生との出会いです。前田先生は私の卒業後に府教育委員会を経て久御山高校長・京都府高体連会長等を歴任された教育者です。北嵯峨高校1期生として入学して直ぐに陸上競技部の創部を相談し、部活動指導は勿論、進路指導から教師までの道のり全てが私の教育観(教育姿勢等)の中心です。70歳という若さで亡くなられ、私が校長になることは楽しみにしていただきながら、生前に報告できなかったことが心残りです。大学も前田先生の後輩となるべく京都教育大学へ進学し、学生時代も教員となってからも、良い時も悪い時も必ず先生から連絡が入り、叱咤激励をいただきハッとさせられました。教師になってから叱られたのは前田先生と父親だけです。前向きで情熱があり、いつも見守っていただいた前田先生の思いが、今の私を作ったと言えます。京北・美山の地にそして北高に、教職の集大成として校長として赴任したことに、様々な方々の思いと強い縁を感じずにはいられません。
西村:北高の掲げる「文武両道」の中身を教えてください。
―自転車競技部は本校卒業生の4人の顧問を中心に、全国総合優勝3回、この3年間は毎年全国優勝選手を輩出する全国屈指の強豪校です。アジア大会や世界大会にも代表として出場し、卒業後も大学・プロチーム・競輪等日本を代表する選手も輩出しています。地元京北美山出身者を中心に府内・全国(令和2年度から部活動全国募集)から集まり、部活動は勿論、学習や学校生活、寮生活においても中心的存在です。更には地域の支援で整備した公式ボルダリング施設を活用したスポーツクライミング(ワンダーフォーゲル部・部活動全国募集)も毎年全国大会に出場。スポーツシューティング(射撃)部が創部2年目の今年、男女共に近畿大会・全国大会の出場を決めました。また陸上競技部では棒高跳マットを設置し専門の指導者の元、全国大会を目指しています。その他にも伝統ある硬式野球部、剣道部、男女バレーボール部、卓球部、女子バスケットボール部、サッカー部が熱心に活動し、文化系では吹奏楽部が5年連続吹奏楽コンクール金賞受賞、放送部や美術工芸部も多くのコンクールに出展しています。また本校の特色として小規模校の弱みを強みに変えた、体育系文化系問わず複数の部活動に加入できることや、本校に無い部活動や人数が成立しない団体競技をやりたい生徒が集まり教員と相談して行う「フリースポーツクラブ」を昨年から創部し、現在は曜日を決めてバドミントン、硬式テニス、男子バスケットボールを行っています。その効果もあり毎年90%を越える部活動加入率を誇っています。美山分校は陸上競技部しかありませんが、限られた活動時間の中で毎年京都府の大会で総合優勝し、全国定時制通信制大会への出場を果たしています。
西村:作文コンクールの入賞作品「私が政治家だったら」を読ませて頂きました。農業の知的財産権の「種苗法」に触れ、その財産権改正の狙いやその問題点を提起、そしてそれに対する意見等も。学校での学びの中から率直な思いを書いておられますね。指導される先生とのタッグマッチと少人数だからこそ?
―特に素直な文章表現は本校生徒の特色と言えます。毎年様々な論文や標語等のコンクールで入選を果たしています。本校のスローガン「みがく かがやく」は、北山杉の磨き丸太になぞらえ、地域が育てた素晴らしい原木である生徒を地域や教職員が一体となって素手で磨くがごとく絶妙の距離感で、「みがき」「かがやける」ようにとの思いからです。その成果がコンクールでの入賞や進路実現に繋がり、毎年ほぼ全員が第1志望の進路を実現しています。本校独自の学習システム(①徹底した少人数教育②地域の教育資源(人材・伝統)を生かした体験・体感学習③教職員による補習・課題研究・プロジェクト学習④予備校の講義が学校で受けられる予備サテライト講座)を活かし、卒業生の約半数の大学進学者全員が塾も予備校も行かず、本校の学習システムで進路実現をしています。また昨春卒業生は6名(卒業生の1割以上)が公務員、今春卒業生は7名(卒業生の1割以上)が国公立に進学しました。更には生徒会活動や文化祭、体育祭、耐久走等の学校行事では「全員が主役」となり、自主的に活発な活動を行い、卒業後も各方面でリーダー的役割を果たしています。
西村:全国に誇る「京都フォレスト科」もあり、かつて林業で栄えてきた地域の伝統を現代にいかし、フィールドワークにつなげているのですね
―平安時代から京の都に木材を供給してきた地域の基盤である林業が地域や本校の大きな伝統であり、全国でも数少ない林業専門学科を有します。地元生徒が多い普通科でも林業体験や森林や木材加工等が学べるカリキュラムを設けています。時代の流れの中で林業の厳しい現状はありますが、国土の7割が森林の我が国に於いて林業は欠くことのできない基幹産業であり、また森林管理は最近の災害に見られるように、環境や防災とも深く関わっています。現在大学や地域とも連携をして「SDGs(持続可能な開発目標)」にも取り組むとともに、少子高齢化の進む中山間地域や里山にある高校の必要性や役割についてもモデルケースとして提案していければと、生徒の研究テーマとして取組を進めています。京都大学や京都京北小中学校、地域と連携した「SDGsリーダー育成プログラム」では全国の中高校生が参加し、夏には「あうる京北」での合宿を行い、本校生徒と教職員が中心となったワークショップ(山林管理・ログハウス・木材加工)で体験をしてもらいます。
また、農業クラブのおける、意見発表やプロジェクト発表は、本校での学びや研究の成果発表(プレゼンテーション)が府大会、近畿・全国大会へと繋がる場として貴重な体験、そして将来への大きな力となっています。
西村:設備の更新や寮の整備など環境整備にも
―赴任当初はハード面(施設設備)の更新は直ぐにできることではないので、ソフト面で弱みの克服や強みに変えることを考え、入試制度の改革や徹底した少人数教育、予備校サテライト講座、部活動の活性化に重点を。その次に地域や卒業生の支援により、公式戦可能なボルダリング施設や部活動の機材や設備の更新をおこないました。そして、国や京都府からの支援を得てドローンや高機能林業機械の購入や本年度全ての大型機械設備を更新します。また、公共交通機関が少なく通学が不便な本校にとって、寮の存在は不可欠で、現在の「有山寮」は老朽化と手狭で、本校への希望者が増えても収容人数が足りずに受検をあきらめる生徒が年々増え、新たな寮整備が必須の課題となっています。寮の効果は通学だけでなく、生徒の成長にも非常に大きな役割を担っています。3年間の寮生活を経た生徒達の成長ぶりは目を見張るものがあり、卒業後もその経験を活かして各方面で活躍してくれています。現在普通科や女子で寮があるのは府内で本校だけであり、大きな特色として、新たな寮の整備を府教委と協議をしているところです。
西村:すこし辛いお話ですが、一時は存続も危ぶまれたそうですが、それを克服されたのは。
―当初、行政から来た校長には「学校を整理しに来たんだろう?」という目で見る方々もいたことは事実です。私の性格上、その時点で「カチッと」スイッチが入りました。私のモットーは「良いところを見つける」、「仕事のやりがいは自分自身がつくる」、「まず動く」です。北高・生徒・地域の良いところ「強み」を探し、「弱み」を逆手に強みに変えていく。そして全てのベクトルを前向きに上向きに変えるために直ぐに動きました。4月に赴任して5月中旬に作成した活性化構想を聞いた地域の方々から「こいつ本気やな」と感じてもらえたのか、その後は本当に心強い支援を頂戴しました。
私一人できるものではありません。理解しアイデアを実現した教職員の努力、教育委員会の理解と支え、地域・卒業生・保護者・PTA・地元小中学校の先生方、特に京北自治振興会久保敏隆会長(現顧問)を中心に京北美山両地域の代表の方々が「北桑田高校存続協議会」を立ち上げ、活性化構想実現の募金活動を直ぐに実行いただき、3ヶ月で1,300万円もの支援金が集まり、ボルダリング施設や部活動支援、予備校サテライト講座が実現できたこと。その後も様々な面でお力添えをいただいています。また、本校卒業生の会社経営の方が、御自身の経験から経済的理由で大学進学を断念することがないよう、無償の奨学金制度を設立していただきました。本当に皆様の思いに感謝しかありません。私以上に「すぐ動く」方々無くしてはこの大きなハンドルを切ることはできなかったと感じています。
西村:徳廣先生が書かれた「私の学校経営」の中で、「本校の『強み』と『弱み』をあげ強みを活かし。弱みを克服する提案を~学校OB、教育・行政関係者、地域の方々からの意見やアイデアを踏まえて~」と述べていますね。
―学校は地域の理解や教職員や生徒・保護者の理解があってこそ「チーム北桑田」が成り立つのです。地方の活性化にはよく「よそ者・若者・ばか者」といわれますが、私は「よそ者・ばか者」、生徒を含め意欲ある地域の「若者」も身近にいました。地域のリーダーである存続協議会の皆様の意見や、長年勤務してきた教職員や地元在住の教職員、地域の若手メンバー、生徒、保護者、PTA、高校OBの先生方の御意見を聞くとともに、教職員から寄せられた「強み」「弱みを強みに変える方法」を集約しました。最初の活性化構想ができた後も地域の自治会総会で説明したり、会長様と話をしたり、存続協議会から意見をもらったりしながら修正と実現方法を模索しました。一番嬉しかったのは、地元の方から「少子高齢化や人口減少そして学校の存続問題とか暗いニュースが多い中で、校長先生の話は前向きなことばかりで久しぶりに明るい、希望の持てる話が聞けた。」とお声かけをいただいたことです。予想していた「そんなこと理想論や、できるはずは無い」という意見は誰からも言われたことはなく、地域の方々の何とかしたいという思いが、大きな後押しであると感じています。
西村:ご自身、高校・大学を陸上競技で数々の記録保持(関西学生選手権十種競技優勝=当時の京都新記録)を。高校時代に大会直前、足首じん帯の断裂という出来事を乗り越えた体験も「前向きに生きる」という原動力に・・
―高校時代は先に述べた前田勉先生の指導のもと陸上競技のことしか記憶に無いくらいです。3年時の京都高校選手権では走高跳と五種競技で優勝、三段跳で3位となり、3種目とも近畿大会でのランキングで5位以内に入っていました。近畿大会で6位以内に入れば全国高校総体(全国インターハイ)に出場が決まるので3種目とも狙っていましたが、大会2日前に体育の授業で足首捻挫(靱帯断裂)をし、歩けない状態(本来なら松葉杖)となりました。それでも前田先生や校医の先生の懸命の努力で近畿大会に到着してからゆっくり走れる程度に回復して出場したものの力を出せず惨敗。生まれてから後にも先にも「頭の中が真っ白」になって地球がぐるぐる回るような感覚はその時だけです。
その後「合格できる」となめていた大学受験にも失敗し、浪人。しかし、この挫折と失敗が今も私の大きな財産と力の原動力です。一つは「大会前に怪我をするのも、全国大会に出られないのも選手の実力。運が悪いのでは無く必ず理由がある。」とある指導者に言われたこと。「まさしくそのとおり」と納得できました。もう一つは浪人中に勉強法を知り、知識が増えることの面白さがわかったこと。この二つは教師になってからの生徒指導に大きな財産になっています。私が生徒に良く話をする「挑戦しなければ成功も失敗も無い」「成功で得ることよりも失敗で得ることの方が多い」。これはこの時に自分が経験した事実なんです。
西村:「動けば何かが変わる」「種を蒔かねば芽は出ない」「動かずに後悔するより、動いて反省したい」「素直・謙虚・感謝」という言葉をいつも胸に秘めておられるとか。その思い教員や生徒にも伝わり、進路実現に結びついているのでは?
―私が特に教職員や生徒達に話す言葉は、できるだけ自分が経験し感じたことを使います。ただ他人や偉人の言葉が自分の経験したことと結びつけば使います。私の言葉がどれだけ伝わっているかはわかりませんが、教職員や生徒も自分自身が経験したときに感じたときに初めて意味を理解できると思います。特に生徒にはわかりやすい即効性のある言葉が有効だと思いますので、「まず動くこと」「動かないと何も始まらない」「0(ゼロ)はいつまでも0。1踏み出せば2にも3にもなる」と背中を押す言葉を多く使います。進路選択の後押しにも繋がってくれていれば嬉しいのですが。中学校の陸上競技の大会に行くと、「素直・謙虚・感謝」という言葉を書いた横断幕が複数目につきます。「德廣先生の教え子が顧問のチームだとすぐにわかる」と卒業生達が笑います。嬉しいですね。
西村:保護者の方から「一度、見学で北高を訪問して環境や先生方にお会いしたら、是非とも我が子を入学させたい』との声もよくお聴きますが・・教師冥利ですね(笑い)
―本当に嬉しいお話ですね。本校の良さはいくら話をして写真を見せてもわかりません。実際に本校まで足を運んでいただければよくわかります。美山分校は更に豊かな自然の中で流れる時間までゆっくりと感じます。私自身も自分が学びたい、自分の子どもや孫を来させたいと思える学校なんです。特色有る取組は毎年多くのマスコミに取り上げられ年に複数回のテレビ取材もあります。全国ネットの番組ではそれを見た視聴者から「是非子どもを行かせたい」「どうしたら入学できるのか」といった問い合わせが多いです。他府県からは、部活動の全国募集(自転車競技部、ワンダーフォーゲル部(スポーツクライミング))を行っていますが、京都フォレスト科については京都府内どこからも受検可能ですし、他の都道府県に林業専門学科や本校の学習内容(カリキュラム)が無い場合は受検することが可能ですので、ぜひとも本校までお問い合わせください。
西村:北高の将来像をどう描いておられますか?
―新たな寮が整備できれば、京都フォレスト科の全国募集を設けて募集人数も増やせればと考えます。更にネット環境を整え一人一台タブレットを活かした寮での予備校サテライト講座等学習にも力を入れ、寮生活を図る予定です。また食堂を、生徒のいない時間帯は「お茶ができるような集えるスペース」など、地域にも利用できるようになればと考えています。また本年度は京都府立林業大学校とも連携協定を結びました。昨年連携協定を結んだ京都府立大学と連携をさらに進め、京都府や京都府教育員会とも協力をして、農林業の担い手を全国から集めて京都府で育てていければと考えています。更には京都大学や地域と協力をして日本に多くある中山間地のモデル地域となるよう「SDGs」にも取組み、学校や地域が持つ様々な魅力を活かし課題を解決する方法を考える中心的な役割を担えればと考えています。
西村:進学、就職した生徒のUターンも期待したいですね。京都市内まで僅か、しかも自然豊かなところですから
―進学の生徒も就職の生徒も一人でも多く、京北・美山に残り、もしくはUターンして地域を元気にしてくれることを期待しています。ですから、何よりも「生徒が北高で学べて良かった。保護者が北高に来させて良かった。地域に北高があって良かった」と思っていただける学校をこれからも目指したいと思っています。更には北高とは切り離して、私の経験と人の繋がりを活かして、少しでも地域に貢献できるよう、スポーツ界と地域との橋渡し役ができればとの思いもあります。
西村:PTAの会長さんが「校長先生はマグロやなぁ」と。「なぜ?」という先生に、会長さんが「いつも走り回っていて、止まったら死ぬんちゃいますか?」と真顔で・・失礼ながら笑ってしまいました。校長赴任前の京都府スポーツ振興課長時代に亀岡のスタジアムや丹波自然運動公園のトレーニングセンター、国際自転車ロードレース「ツアー・オブ・ジャパン京都ステージ」や「京都丹波トライアスロンin南丹」の誘致などハード、ソフト面でのご活躍を聞くとさもありなんと・・僅かの時間でしたが、「人とのつながりを僕は大切にしたいんです」「全員が主役です」。徳廣先生が帰りがけにふと漏らした言葉が胸に残りました。日本中でも数少ない、この素敵な自然環境と少人数という教員と生徒の熱い距離感が、この北高にはあるんですね。ご多忙の中。お時間をとって頂きありがとうございました。
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