コロナ禍が分かつ人の情
2021年7月31日、全国の新型コロナの新規感染者は1万2342人。新規感染者が1万人を超えたのは3日連続で、過去最多も4日連続で更新。全国で新規感染者が過去最多になったのは、東京や神奈川など関東の1都5県と、沖縄、京都、静岡、新潟の合わせて10の都府県。開催中のオリンピックでの記録ラッシュは喜ばしいことですが、新型コロナの連日記録更新には不気味さを感じます。
東京は緊急事態宣言中にもかかわらず感染者が爆発的に増え続け4058人に。唯一の頼みになっていた伝家の宝刀もその威力を失ったように思えます。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は、「1年半以上のコロナへの取り組みの中で、最も危機的な状況だ」と菅首相に訴えたそうです。
コロナ禍で思うことは、いろいろな場面での“分断”です。
現在開催中のオリンピックもその一つ。「開催」か「中止」かで、世論が大きく分かれましたが、議論の余地なく強行開催されました。
国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は、日本での大会開催について、こんなことを語っています。「オリンピック番組のテレビ視聴率が高いのは、日本人が大会の開催を非常に受け入れているということだ」と。バッハ会長は、国内でのテレビ視聴者の年代別偏在(若年層が低く高齢層が高い)が顕著になっていることを知らないのでしょうか。もはやテレビは世論を表す神器ではありません。
オリンピック中止派の一部から出ている「開催そのものへの反対は変わらないが、選手の活躍には心から敬意を表する。反対なら応援するな、ではない」という発言は、「戦争そのものには反対だが、国のために前線で戦っている兵士には敬意を表する」と聞こえます。
“分断”は家庭でも起こっているようです。家庭内でのコロナ感染を防止するために、家族が別々に食事をする。一緒に食卓を囲む際には会話をしない。そんな話を耳にします。ホームドラマで家族団欒の象徴として描かれ続けてきた温かな家庭内風景は、もはや過去のものになるのでしょうか。
深刻な“分断”もあります。病院内クラスターを防止するために仕方なく実施されている厳しい面会制限です。
生まれてきた赤ちゃんに一度も会えない父親、姉や兄がいるそうです。1日に数時間しか家族に会えない長期入院中の子供も。症状が悪化しても家族に会えない高齢者の入院患者。
重苦しい病と死と孤独に向き合うしかない患者。ベッドの横に付き添うことも、手を握ることも、最期を看取ることさえもできない家族。
コロナ禍は、人々の“愛情”さえも“分断”せざる負えないという、あまりにも無慈悲な状況を新たに生み出しています。この現実に直面するたびに、心が痛みます。
―春風―
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