我が命より我が子を

母親の乳房を求める赤子の姿に

 『~母の命尽きたるを知らずして、いとけなき子の、なほ乳を吸ひつつ、ふせるなどもありけり。』
 長明さんの目の先には死んだ母親の乳房に吸いついている嬰児の姿が。

飢饉の図 方丈記訵説挿絵・浅見和彦方丈記より


昨年の飢饉の惨状に疫病が加わり…

 『前の年、かくの如くからうしてくれぬ。明くる年は立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘(えきれい)うちそひて、まさざまにあとかたなし。』
次の年はもとのように立ち直ると思いましたが、事態は更に悪化。時は1182年です。
 『~築地のつら、道のほとりに、餓ゑ死ぬるもののたぐひ数も知らず。~くさき香、世界に満ち満ちて、変はりゆくかたち、ありさま、目もあてられぬこと多かり。いはむや、河原などには馬、車の行交ふ道だになし』
 あちらの土塀の前やこちらの道の端で多くの人が命を落としていきました。死骸を片付けることができないので、臭いにおいはこの世の全てに満ち満ちていたといいます。鴨川の河原では屍が溢れて、馬車や牛車が通る道さえないほどでした。

鴨川

 『~濁悪世にしも生まれあひてかかる心憂きわざをなん見侍りし』
と長明さんが書いた出来事とは。山の木を切って、都に売り、その日暮らしをしていた樵夫も飢えのため仕事ができないため薪が不足。中には自分の家を壊し、薪にし、売ろうとしますが、自分の命を保つこともままならなかったようです。不思議なことに、薪の中に赤い塗料がつき、箔が所々についている木が売られていました。調べてみると古寺に入って仏像を盗み、仏像や仏具をこわし割砕いたものとわかり、長明さんは「濁悪の世に生まれてこんな情けないしわざまで見てしまった」と嘆くことに。

大変いたわしいこともありました

 『~さりがたき妻(め)、夫(をとこ)持ちたるものは、その思ひまさりて、必ず先だちて死ぬ。その故は、我が身は次にして、人をいたはしく思ふあひだに、まれまれ得たる食ひ物をも、かれに譲るによりてなり~』                 
 離れがたい、いとしい妻、夫を持っている者は、その愛する気持ちがまさって、より深い者が必ず先立って死んでゆきます。それは、相手を第一に我が身を次に考え、なけなしの食べ物さえその人に譲ってしまうからなのです。
 世の中の無常を詠いながらも、その中で忘れてはならない、忘れられない、心に染みいるできごとが。悲しいけれど、壮絶な人々の生き死にの中で、長明さんが目に留めたこの場面は人と人の気持ちがつながって、そのことが何よりも力強いのです。無常と言われる世にあって、こういう関係こそが立ち消えないもの、力を与えるものではないか、この人生で自分より大切におもえる人に出会えているかと。誤解を恐れずに言えば、人の情愛によって明かりが見えてくるように思われます。今のコロナ禍でもこんな関係がきっとあるように。

しかし、様相はこの世の地獄と

 当時の平安京の人口が10万人前後、この飢饉、疫病でそのうちの4万2300人余りの人が亡くなったといいます。方丈記で唯一名前が登場する仁和寺の隆暁(りゅうぎょう)法印。
死者が成仏できるようにと一人ひとりの死者の額に阿の字を書いて回ったそうです。長明さんは2ヶ月かかってその人数を数えたといいます。

長明さんの目線から今を

 当時一家全員が餓死という状態が多く見られたそうです。長明さんの目線の究極に映ったのが冒頭のあの赤ん坊の姿です。弱者に対する何とも言えないまなざしが感じられます。
 1945年8月6日8時15分広島に原爆が投下され、その後泥やほこり、すす、放射性物質を含んだ大粒の雨が降りました。いわゆる「黒い雨」です。その雨を浴びた方々が外部被曝、放射能に汚染された水や食べ物の内部被曝によって健康被害を。2015年に県と市を相手取り、被爆者健康手帳の交付を求めて援護対象区域外の原告84人が広島地裁に提訴しました。昨年判決後控訴され、今年7月14日広島高裁で全員被爆者にとの判決が。しかし、その判決後直ぐに、県や市に上告を迫る国。「もう後がないんよ」「死ぬのを待っているのか」という原告の方々の叫びが届いたのか、その後7月26日に国は上告をやめ、判決が確定。本当に76年という長きにわたって、体の不調と闘いながら生きて来られたんです。この間15人の方々が亡くなられました。為政者に長明さんの目線が少しでもあれば、この決定が政権浮揚のためだと揶揄されるはずがありません。また、原告以外の1万余名の方々が黒い雨を浴びておられて、救済がそこまで伸びることを願わずにはいられません。もう時間がありません。
 こんな時、一緒に喜び合える、共に涙を流す人がいたらきっと生きてゆけます。
 今を長明さんの目線から見ると色んなことが見えてきます。この所、ずっと長明さんに「人のことよりあんたはどうなんや」って問われているように思えるんです。

(八幡まるごと館 上谷順子)

◆記事に対するコメントはメールでお願いします。
info@slocalnews-kyoto.jp

2021年8月6日RT(407)
編集部 春風

編集部 春風

京都の暮らしが少しだけ楽しくなるニュースをすろ~な感じで配信しています。記事へのご意見・ご感想は、メール(info@slocalnews-kyoto.jp)で送ってください。心からお待ちしています。

人気のある記事ベスト15

まだデータがありません。