白鵬の母の言葉の重み

 「古いアルバム~めくりありがとうってつぶやいた~励ましてくれる人よ」「晴れ渡る日も、雨の日も」「~会いたくて、会いたくて~」。15歳でモンゴルから相撲取りになるため日本に来た元・横綱がいます◆稽古や相撲のしきたり、古い上下関係、時にはいじめなど、辛くてモンゴルに戻りたいと夜になると部屋を抜け出し屋上や公園でご両親への想いを馳せながら涙を流した時にこの「涙そうそう」が心の支えになったというのです◆白鵬です。この秋場所で引退しました。私は相撲の事は、ずぶの素人。ですが、なんとなく白鵬が好きでした◆後輩の運動部記者に聞いた話を綴ります。2004年の5月場所で、朝青龍の連勝を35でストップさせた元関脇の北勝力(現・谷川親方)と新入幕の当時19歳の白鵬との一番。北勝力が勝てば「賜盃」を。ですが負けました。日本のファンは怒ったのです。というのも二度の待ったでじらされ、「立ち合いでくじかれた」とファンも相撲評論家も白鵬を批判したのです。

 4年後の2008年のモンゴル巡業で、年配のあるご婦人に北勝力は声をかけられました。「あの相撲はあなたが勝っていました。ごめんなさい」と。当時モンゴルの国民は朝青龍、白鵬らモンゴル出身の力士の活躍をテレビで見ていました。そのご婦人とは医者でもある母親・タミルさんだったのです。人の痛みを知っておられるのですね。その後の白鵬の行動で、勝った時のガッツポーズや肘打ちとしか見えない「カチあげ」など相撲協会から「武道にそぐわない」「品位がない」と厳重注意を◆が、運動部担当記者は、八百長事件や暴行死事件、野球賭博などの不祥事の時も、「一人横綱で頑張って相撲界を引っ張ってきた」「東日本大震災でも毎年、率先して現地を訪れ励ましてきたのです」と◆相撲は、「五穀豊穣の神事の伝統」の武道。その伝統も八百長や博打に染まっては・・。そろそろ「品位」という美名の陰で、博打などの不祥事の原因を黙認してきた伝統・武道にも、改革も必要ではと素人ながら思うのです◆あのモンゴル巡業で謝罪したタミルさんの心情を思いながら、武道では厳重注意の「待った」「かち上げ」「張り手」をやりたい放題の政治家の皆さん。未だに疑惑の渦中の元首相の安倍氏、新たに幹事長になった甘利氏らに、あなた方の母親が存命なら、タミルさんのように言うのでは。「我が子の不始末は私が代わって・・」と◆引退会見で白鵬は「ほっとしました」「力士は強さが全てではない」と晴れ晴れとした表情で。重かったのでしょうね。

(西村敏雄)

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2021年10月8日RT(1,196)
編集部 春風

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