慈しむ少女の姿から見えるもの

 秋の夜長を読書?それとも澄んだ夜空の星座を?深夜には冬の星座も見られます。天頂近くに4つの星が四角く並んでいるのが「ペガスス座」の天馬の胴体です◆さぁーて・・今回のコラムは、江戸末期から明治初期にかけての話題を二つお届けしますね。心温まる人々が登場します◆江戸時代の風儀を残す明治の初めに来日し、東京帝国大学に招かれた動物学者のエドワード・モース。もう一人は、幕末の上総請西藩(現・千葉県木更津市)藩主の林忠崇です◆モースは、ある晩に、日本人の少女二人を連れて東京の夜店に出かけました。そして二人に、「自由に使いなさい」と10銭ずつ渡しました。「何に使うのだろうか」と興味を持って見ていました◆すると二人は、夜店から少し離れた道端で座り三味線
を弾いていた物乞いの女性の前で立ちどまり、地べたに置かれたザルに1銭ずつ入れました。自らの身なりも粗末な少女の行いにモースは感嘆したのです◆著書「日本その日その日」に出てきます。この少女の振る舞いを観て、モースは、「日本人が礼儀正しく正直である」「貧しい人にも優しい」と実感したのです。貧富の差が厳しい時代の出来事ですから余計に・・

 二人目は林忠崇です。藩主だった忠崇が戊辰戦争をきっかけに、大名から一転して、鍬を握るお百姓になりました。将軍への忠誠から脱藩するが、これには深い理由が~「新政府に破れて藩士やそこで暮らす民に迷惑をかけてはいけない~(藩主が脱藩して)自分一人が詰め腹を~」と。当時話題になった「大名の脱藩」だったのです。その時に読んだ句があります◆「琴になり下駄となるのも桐の運」。同じ桐でも、時の流れの中で、大勢の人の前で奏でられる「琴」になるか。人の足に踏まれて、擦り減って捨てられ「下駄」として一生を終える」という運命を句にしたのです。自分の人生を、「桐」に例えたのですね◆忠崇は決して自分の身分を卑下して嘆いていたのではないのです。「琴(大名)」が最高ではない、「下駄(百姓)でも人のために、役に立てば・・」と◆あの貧しい身なりの少女のように、物乞いの女性に施した1銭のお金のように、「不遇でいる人々への心遣いや寄せた慈しみ、優しいまなざし」が江戸から明治にかけて日本人の心にあったのですね◆モースが出合った少女の名前も顔も知りません。でも、こうして秋の夜長にはるか彼方の星座を見ていると、100年以上も前の出来事が目の前に、それも忘れかけていた慈悲深い優しい少女の姿が消えては、また浮かぶのです。

(西村敏雄)

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2021年10月15日RT(522)
編集部 春風

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