歌おうか!「夕焼け小焼けで~」

 「夕焼け小焼けで 日が暮れて 山のお寺の 鐘が鳴る~からすといっしょに かえりましょ」。作家の浅田次郎さんが2010年2月に開かれた「新日中友好21世紀委員会」のメンバーとして北京へ行った。2日間の会議の後には、迎賓館で温家宝国務院総理との面会もあり緊張の連続だったそうです◆だが、それよりも浅田さんの心に帰国後も残ったことが他にありました。中国作家協会主席の鉄凝(テイエニン)さんが挨拶のなかで、かつて訪日したときのことを話しました。「東京の街を歩いていたら聞き覚えのある歌が流れていました」「夕焼けがとっても綺麗でした」◆そう言って「夕焼け小焼けで 日が暮れて~」と歌いだしたのです。日本中の校庭や町角、ここ京都・京北でも学校からの帰宅を知らせるこの歌が、赤く染まった夕方に山を越え、杉林を通り抜けて流れています。浅田さんは、「(1957年生まれの)彼女がなぜ、この歌をそらんじることができるのだろうか」◆更に、浅田さん疑問は続きます。「なぜお父さんがこの童謡を知っていただろうか」。鉄凝さんは語りました。「父が9歳の時に、華北の農村に進駐していた日本兵からこの歌を教わりました」「私は父から口伝で教わったのですが、軍歌か宣撫工作のための歌かもしれないと歌わなかったんです」。ですが、意味を知らなくても、「心が覚えていたんですよ」と。

 「夕焼け小焼けで 日が暮れて~」。その日本兵にも、遠い祖国に残した、当時9歳の鉄凝さんの父親と同じくらいの子供があったのかもしれません。故郷の森に帰るからすを思い出し、「お手てつないでみなかえろう」と歌いながらその日本兵はその子の手をぐっと握りしめたのでしょうね◆「文学は時代の鏡、作家は時代の良心です」。鉄凝さんが会場で歌った歌詞に込められた真実を、両国の作家らだけでなく政界、財界などから参加した人たちの心をうったそうです◆今、台湾海峡、尖閣諸島をめぐり、きな臭い・・多くの人が犠牲になった戦争という悲劇の中で、兵士が戦地の子供の手をしっかと握りしめ故郷を思って歌った「夕焼け小焼け~」には、「平和への思い」があったのですね。

(西村敏雄)

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2021年11月4日RT(335)
編集部 春風

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