仲良くするために
「結ぶときより、ほぐすとき少し辛抱がいるようだ」。詩人・吉野弘の「贈るうた」を詠みながらなるほどと思う◆「祝婚歌」では、のっけから「完璧をめざさないほうがいい」「完璧なんて不自然なことだと、うそぶいているほうがいい」と。「二人のうちどちらかが、ふざけているほうがいい」とも。更に「~互いに非難することがあっても、非難できる資格が自分にあったかどうか」「あとで疑わしくなるほうがいい、正しいことを言うときは、少しひかえめにするほうがいい」。さりげなく心するようにと詩は続く◆「祝婚歌」ではあるが、自分のこれまでの人生にこの言葉を当てはめると完全にアウトである。完璧に近づこうとするし、宴席でも、事件、政治の話など酒が入るほどに、友人らとの話はヒートアップ、自分の思いを正当化し、意見の違う相手を罵倒していた我が姿が浮かんで額に汗が。
小説家の泉鏡花は、浪漫主義の尾崎紅葉の「二人比丘尼 色懺悔」を読んで文学を志し、紅葉に師事した。崇拝していたほどだ。35歳という若さで亡くなった紅葉に対して、徳田秋声が冗談半分で、「紅葉は甘い菓子が好きでたくさん食べたから胃を悪くして死んだんだ」と言った◆この言葉に怒った鏡花は、目の前の火鉢を飛び越えて秋声に殴りかかったというエピソードがある。それ以降、絶縁に。若くして亡くなった紅葉の歳を超え65歳まで生きた鏡花としては、秋声を許すことがなかったようだ◆鏡花は“完璧症”ではないが、潔癖症であったことは文壇でも、つとに有名だ。脇道にそれるが、「腐」の文字を嫌い、「豆腐」を「豆府」と。生ものは食べず生菓子も火にあぶってから食べるというほどだったとか◆人生で「喧嘩」ほど、簡単に解決方法が見つからないものはない。結んではほぐし、また結びなおす。そうした人付き合いの紐に幾重にも取り巻かれて、人々は生きている。ほぐすときになって、はじめて結んだことに気がつくものだ。
(西村敏雄)
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