八幡まるごと館のこと

 「地域の人たちの出会いやつながり、絆が次第に薄れ無縁社会化していくなかで、少しでも心の安らぎを取り戻せる『場づくり』ができないかと考え、ささやかながら八幡まるごと館を開きました。それは単なる思いつきではなく、私が永年思い描いてきたことです」。当時市会議員だった夫が地域の通信に、その設立への思いを綴っています。

八幡まるごと館

 2009年6月八幡まるごと館を開きました。何かあると、いつもこの部分に戻ってきます。夫が2012年12月に亡くなった時にも、このコロナ禍の2020年4月・5月にも、今回も。ここがスタート地点だとつくづく思います。

取り組みの中から芽生えたもの
 民間の力で公的分野を担おうと、全てを任された私は、初めは誰も来られない館にポツンとしていました。何年も右往左往しながら、やっと1つずつ講習会をお願いし開き、コンサート、まるごと市、餅つき会、絵画展等を、講師や参加者、野菜生産者、寄って来て下さる方々と共に作ってゆくことが出来るようになりました。

2019オカリナコンサート

 色々なことを取り組む中で、こんな時代だからこそ人が集え、共に笑ったり楽しんだり、時には共に悲しんだりすることが必要とされるのかもしれない。人とのつながりは生きていく意欲を持たせてくれるし、学ぶちからの誘因にもなるし、新たなことに挑戦しようという気持ちをも喚起させてくれると思いました。それは人と人とのつながりを培った11年間でした。

野菜棚

 ところが…。まるごと館に人が集まることが出来なくなって途方にくれたのは昨年4月でした。それからずっと鴨長明の方丈記を読んできました。

2017味噌作り講習会

一夜のうちに塵灰になりにき
 『~風はげしく吹きて、静かならざりし夜、戌の時ばかり、都の東南より火出で来て、西北にいたる。~』
 長明さん23歳、1173年(安元3年)4月28日に大火を経験。直線距離にすると2.5㎞で平安京の中枢部を焼き尽くし、当時都の3分の1を失う程だったと言います。多くの死傷者がでて、長明さんはくまなくその状況を記しています。人間のやることなすことは愚かであるが、財を費やしてこんな危うい都に家を造るのはこの上なくつまらないことだと。
 その3年後の4月29日、26歳の時には治承の辻風という竜巻を。『かの地獄の業の風なりとも、かばかりにこそはとぞおぼゆる』とその暴風の凄まじさを。家の損壊ばかりか体を痛めた人の数も数えきれない程で、多くの人々が嘆く姿を目や心に留めています。

人とのつながりの中から
 たった8年の間に五大災厄(大火、辻風、遷都、飢饉、地震)が次々と。源平の争乱が背景にあり事がより深刻に。毎日が死と隣り合わせで今のような権利がなかった時、とは言え大切な人が亡くなれば遺族の悲しみは今となんら変わりがないはずです。遺された人たちは日々をどうやって暮らしていたんだろうか。至る所から声ならぬ声が聞こえてきそうです。
 私は夫との別れを経験して、それまで自分がいた世界とは違う世界に自分がいることに気づきました。それまでわからなかったですね。きっと多くの方がそんな経験をされていると思いました。
 私が生きているのはほんの僅かの部分で、知らないことがほとんどです。でも、人の悲しみが自分事までいかなくても、私が寄り添ってもらったように、話を聞ける人でありたいと思います。こう書いている横で夫が笑っているように感じられます。

(八幡まるごと館 上谷順子)

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2021年12月26日RT(374)
編集部 春風

編集部 春風

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