「親思ふこころにまさる親心~」
「親思ふこころにまさる親心」。江戸時代の終わりに、幕府を批判したために、安政の大獄で処刑された吉田松陰が親にあてた手紙です。親孝行だった松陰が処刑の後に、その死を聞いたら親がどんなに悲しむことだろうかと、したためたのです◆ですが、松陰の文字の行間には、子が親を思う心より、親が子を思う、慈愛の心のほうがさらに深いという親の心が滲んでいたのです。
約16年近く前のことです。京都・伏見区に住む親子3人の家庭で悲しい出来事が起きました。父親の病死後、母親が認知症(徘徊など)になり、息子さんは介護のために長年働いた仕事を辞めパートに◆それも束の間、昼の徘徊がひどくなりそのパートもやめ、介護に専念しました。夜昼なく介護に。疲れ果て残った僅かな生活費を懐に車いすを押して食事をした。そしてよく親子して眺めた淀川のほとりで母親を手に・・そして自らの命を絶とうと・・◆京都地裁で、その息子さんは嗚咽しながら言いました。「もう一度、生まれるなら母ちゃんのお腹から・・」と。裁判官は目を真っ赤にして、「人を殺めることは許されるべきものではない・・」「でも貴方は一生けん命介護をしてきました。母親の分も生きてほしい」と判決後に語り掛けました◆松陰の手紙や息子さんの母への思慕、裁判官が語りかけた言葉に、親子が互いに見つめあう“鏡”を見る思いです◆この1、2年、コロナ禍などで経済的にも生活が一変してか、可愛い我が子への虐待など、冬の寒空の下に悲しい風景が増えています。親子の縁が薄くなった今、セーフティーネットもさることながら、「他人への無関心」を、朝晩のひと言「おはよう」「こんばんわ」の挨拶に代えることができたらと思うのです◆ふと、我が身を振り返り、親を悲しませた記憶がちくりと胸を刺します。「親孝行したい時には親はなし」
(西村敏雄)
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