玄界灘からの眺望

 兵庫西宮の門戸厄神に暮らしていたころ、知人と会う予定で午後、阪急宝塚まで出た。用をおえて夕方、広い景色を見ながら、それほど馴染みがない宝塚を散策したくなって、元気もあったので駅から離れ、どんどん歩いていった。とても寒い日で、記憶を辿れば2019年の十二月半ばだったかと思う。「コロナ」が世界を席巻する直前の、年の瀬だった。◆既に日は暮れかけていて、空が闇に染まるのも早かった。かなり歩いたのだったが、やがて郊外の景観になり、大きな武庫川の沿道に添って建てられた閑静なマンション群があらわれた。一帯は急な坂と曲がり道が多く、崖のようになっている所もある。この時にもう日は沈み、車道のまばらなネオンライトとマンション内の夜光灯のみがひっそり周囲を照らしていた。硬い冷気に青く澄んだ、風の強い夜だった◆マンションから少し歩いたところに大きな橋が架かっている。マンションそばの道からも橋はすでに見えている。全長120メートル位だろうか。巨大な橋が闇のなかにあった。その時には名を知らなかったが、これが生瀬橋だった◆この橋を渡って向こう側にみえる村落まで行こうと思ったのだが、渡り始めて強風にあおられたとき、ぞくっと恐怖を感じた。筆者はかなり強い高所恐怖症をもっている。橋から川までの距離が長く、底が深い。加えて川幅が広いことから、渓谷のような川を眼下に遠景へ目をやったときぞっくり不安になったのだった。目まいと動悸がし始めた。あわててマンションの建っている、もときた道まで駆けて引き返した◆しばらく橋のたもとで茫然としていたが、道を引き返すことはせず、崖の狭間の細い山道を上ってゆき、JR線生瀬駅へ向かう田舎道を進んでいった。全く人と出くわさなかった。疲れもあったのかこの時の心ぼそさ、寂しさは何とも云えないものだった◆やがて駅まで辿りつき、電車で宝塚へ戻って阪急線に乗り換えて門戸厄神に帰宅した。もう八時を回っていた記憶がある。夜、ぐったりして眠りにつくとき、生瀬橋からあわてて引き返す時に見た遠景の映像をおもい出していた。そのとき、筆者の脳裏に微かによみがえってきた幼少時代の記憶があった。

 それは、海を眼前にして建っている大きな造りの料亭の、座敷に向かう長い通路の窓からみえる、夜の玄界灘の鬱然とした、遥かな眺望だった。もう何十年も忘却していた記憶で、何でこんなこと今おもいだすのかと意識もうすれるなかに訝しく、困惑する感じがした。(後半へ続く)

(臨 機清)

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2022年4月20日RT(176)
編集部 春風

編集部 春風

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